高橋庄作酒造店 酒蔵史


−会津娘の蔵より−
会津娘醸造元 高橋庄作酒造店

創業から今日まで

 金波、銀波に輝く稲穂の海原に赤とんぼが飛び交い、会津盆地は今まさに収穫の秋を迎えんとしております。当蔵の五百万石も9月10日前後には刈取りに入る予定です。  一の正宗ラベル当蔵は会津盆地の南端に位置し、会津の重要な穀倉地帯にあり、その地名も「門田町一ノ堰(もんでんまちいちのせき)」といいます。会津盆地は南北に長方形にひろがっていて博士山、大戸岳、磐梯山、飯豊連峰などの周囲大小の山々からは数々の支流が扇状地形に本流の阿賀川(大川)に合流して米づくりに適した肥沃な地質と豊富な地下水で潤っております。また、盆地特有の夏暑く冬寒い気温の特性があり、零度以下と25度以上の日は年間それぞれ100日を越えるといわれています。
このように恵まれた気候風土のもとで、当蔵が酒造りを始めたのは明治の初めだろうと思いますが定かではありません。と言いますのは、「戊辰の役(ぼしんのえき)」の大火を含めて再三の火災により殆どの記録が焼失してしまっているからなのです。余談になりますが、幕末から維新初期の社会の混乱は会津の場合特に著しく、「白虎隊の悲劇」などで知られる−会津戊辰戦争−をはさんでのそれは藩政から民政局への大きな政治支配の交替期でもあり、酒造業の場合も例外でなく、無鑑札醸造者も多く、明治4年には従来の鑑札制が廃止され、新免許による税の取締りが厳しくなされたとあります。  

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